最高でなければだめというなら、あなたは「マキシマイザー(最大化人間)」だ。マキシマイザーは、買い物や決断をするたびに、最高かどうか確かめる。「サティスファイサー」はまずまずいいものでよしとして、...

最高でなければだめというなら、あなたは「マキシマイザー(最大化人間)」だ。マキシマイザーは、買い物や決断をするたびに、最高かどうか確かめる。 「サティスファイサー」はまずまずいいものでよしとして、もっといいものがあるかもしれない、とは考えない。 マキシマイザーは、客観的にみれば、サティスファイサーより成功しているかもしれないが、主観的にみると、そうでないことが多い。 たとえばマキシマイザーが、さんざん探し回ってようやくセーターを一枚手に入れたとしよう。サティスファイサーなら、よほどの幸運に恵まれないかぎり、まずみつけられない掘り出しものだ。 さてそれを手にして、マキシマイザーはどう思うだろう? 注ぎ込んだ時間と労力に腹を立てるのか?調べなかったオプションにもっといいものがあったかもと想像するのか?もっと上手に買い物した友人がいなかったかと記憶をたどるのか?他人とすれちがうたびに、もっといいセーターを着ていないかと横目で確かめるのか? マキシマイザーは、こうした疑いや気がかりのどれかに、あるいは全部に、さいなまれる。サティスファイサーは、ぬくぬくと安心して、町を歩く。Amazon: なぜ選ぶたびに後悔するのか―「選択の自由」の落とし穴: バリー シュワルツ, 瑞穂 のりこ (via raurublock)