「新型うつ」の人たちは良好なコミュニケーションと自分への理解を周囲に求める。しかしそんなものは日本にはない。日本は依然、旧態然とした上意下達の日本社会であり、そこには主体性はなく、一種の「思考停...
Published by atasinti,
「新型うつ」の人たちは良好なコミュニケーションと自分への理解を周囲に求める。しかしそんなものは日本にはない。日本は依然、旧態然とした上意下達の日本社会であり、そこには主体性はなく、一種の「思考停止」であることを由とする。上司には(彼らが規定する枠外にある)コミュニケーション能力はなく、むしろ最悪のコミュニケーターである(ことが多い)。彼らの多くは一緒に飲んで、「俺の若い頃」の武勇伝を言って聞かせ(聞いているほうは感心して聞いているふりをして)、そういう空気を共有できる相手「とだけ」会話が成立する。「他者との対話」をコミュニケーションと呼ぶのであれば、かれらにはコミュニケーションなど一切できないのである。 以上の状況をかんがみ、それでもぼくは「新型うつ」の人たちが「社会が悪いんだ、おれたちは悪くない」と叫ぶことを由としない。それは彼らを回復させないからだ。それだけの極めてプラグマティックな理由だ。彼らは、有責性は自分にある、という自覚からスタートさせないといけない。そこを渡らないと、どこにも行けない。だから、ぼくはそれを「病気」と呼ぶのを止めましょう、と言っているのだ。「新型うつ」は病気と認識しないほうがよいと思う、という話(案) - 楽園はこちら側 (via otsune)