日本では1941年に武田薬品工業からアンフェタミン製剤をゼドリン、大日本製薬(現在の大日本住友製薬)からメタンフェタミン製剤をヒロポンとして市販されたが、効果も売上げもヒロポンの方が上だった。軍...

日本では1941年に武田薬品工業からアンフェタミン製剤をゼドリン、大日本製薬(現在の日本住友製薬)からメタンフェタミン製剤をヒロポンとして市販されたが、効果も売上げもヒロポンの方が上だった。軍は生産性を上げるべく、軍需工場の作業員に錠剤を配布して10時間以上の労働を強制したり、夜間の監視任務を負った戦闘員や夜間戦闘機の搭乗員に視力向上用に配布した。これが、いわゆる「吶喊錠」・「突撃錠」・「猫目錠」である。夜間戦闘機月光搭乗員として6機ものB-29を撃墜したエース、黒鳥四朗海軍少尉倉本十三飛行兵曹長のペアが、戦後その副作用に苦しめられたのが有名な例である[2]。 やがて日本が敗戦すると同時に軍部が所蔵していた注射用アンプルが流出し、戦後間もない闇市ではカストリ焼酎一杯より安い値段で1回分のアンプルが入手できたため、芸人や作家やバンドマンといった寸暇を惜しんで働く者たちから、興味半分で始めた若者まで瞬く間に広がり、乱用者が増加していった[3]。また1943年から1950年までは、印章さえ持っていけば誰でもヒロポンのアンプルや錠剤を薬局で購入できたため、タクシーの運転手や夜間勤務の工場作業員など、長時間労働が要求される職種の人々に好んで利用され、その疲労回復力から大変重宝された。しかし即効性の高いアンプルは常に闇に流れ品不足が常態化しており、1949年の新聞で、薬局では錠剤しか入手できなかったと報道されている。この結果、日本ではメタンフェタミンが社会に蔓延し多数の依存症患者を生み出す事となった。覚醒剤 - Wikipedia (via jinon)