面白がったり、笑い飛ばしたり、何かをたくらむ余裕を持ったり、大いにしゃべったり、あちこち出かけたり、エッチであることとか、同時に知に飢えたりだとか、人に興味を持つだとか、大いに酒を飲んだりとか、...

面白がったり、笑い飛ばしたり、何かをたくらむ余裕を持ったり、大いにしゃべったり、あちこち出かけたり、エッチであることとか、同時に知に飢えたりだとか、人に興味を持つだとか、大いに酒を飲んだりとか、そういったことすべては体力の問題だ。体力とは、体のどこかに貯めておけるようなものではなく、自ら日々補給しなければ出せないものだ。心のどこかで自分に嘘をついている人には体力は貯まらない。本気で嬉しがったり、感動したり、面白いものに触れたりする、そうやって得られたものだけが、楽しむためのパワーとなっていく。それが「享楽的」ということだと思う。野蛮でないと教養が出せないのと同様に、知性がないと色気が出ないのと同様に、享楽的であるにはパワーが要るものなのだ。KHAKI DAYS : 森永博志「享楽をあきらめない」 2010-02-24 2010-10-01 (via atm09td, matsutake) (via hiroakis) (via appbank) (via motomocomo)