この手の話をすると、かならず彼らが言い出すのが「なんで日本の人たちは国のいうことを信じるのだ」という疑問である。とはいえ、昨今耳にするアンケート調査などによれば、もはや多くの人々が「国も東電も信...
Published by atasinti,
この手の話をすると、かならず彼らが言い出すのが「なんで日本の人たちは国のいうことを信じるのだ」という疑問である。とはいえ、昨今耳にするアンケート調査などによれば、もはや多くの人々が「国も東電も信じていない」ということである、と説明すると、「それはよかった」と笑顔になった。 私は彼らの笑顔を思い出しながら、「信じていない」というよりも、国家というシステムと日本という場所に住んでいる人たちの間の強烈な分断が起こっており、この分断の深さは修復不能なんではないか、と感じているので、「信じない」どころではないかもしれないなあ、と考える。まあ、そのぐらい国家というシステムに対する距離感があったほうがよいのかもしれないのではあるが、一方で民主主義の隠しコマンドを熟知したかのごとき「俺を信じろ」と顔に大書された某大阪市長に対する熱狂的な支持を眺めるにつけ、逆にその距離の取れなさ具合に「信じる信じない」という話ではないとつくづく思うのであった。そもそも国家というシステムは便利ではあるが、信じるかどうか、ということではない。住んでいる人間が使い倒す対象の筈である。近況 - kom’s log (via otsune)