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↓この記事について、  先ほどTwitterに連投したStud… | Facebook ちょっと的を外していると思ったので一言書きます。で、私、不動産屋なので、不動産取引にたとえようと思います。 事故物件をそうと知らせないで売ったら  いわゆる事故物件、たとえば自殺があったとかそういう物件を売る時には説明をして売るのが普通です。なぜかと言うと、大抵の人は自殺があった物件を嫌がるからです。  で、とある悪徳不動産屋が仲介に入って売主から買主に物件を引き渡してお金のやり取りも終わった後に、事故物件だったことが発覚したとしましょう。  悪い奴ですよね、この不動産屋。知ってて説明しなかったんですから。ひどいですよね。  でも、これ実は、結局当事者同士の話なんですよ。あくまで民事ですから、売主と買主で「事故物件だったんなら金額下げろよ」「ていうか、もういらないから金返せよ」みたいな、そういうレベルの話。 仲介者の責任  そんなわきゃないですよね。  不動産屋は損害賠償されますし、下手をすると営業停止にもなります。  でも、なぜなんでしょう。原則として当事者間の問題であるというのは決して間違っていません。なぜ不動産屋が損害賠償を受けるのでしょうか。  ひとつめは、商売として物事の仲立ちをする者には、仲介者としての責任が問われるからです。仲介者はその物事の進行を円滑するために存在しますし、そのように信任されたからこそ仲介を商売としてできるのです。信任を裏切ることはよくないことです。  ふたつめは、市場を破壊するからです。世の中には不動産屋を蛇蝎のごとく嫌う人もいますが、きっと以前に出会った不動産屋が仲介者としてよい仕事をしてなかったのでしょう。そうです。よくない仲介者が商売として仲介をすることによって、その業界自体の信頼を失わせ、市場を壊してしまうのです。 Studygiftの何がイケナイのか

このような個別包摂の試みは今後も次々出てくるだろう。個人間送金が簡単になればさらに加速する。私はその多様化は社会包摂を補完するありかたとして否定すべきでは無いと思う。  先ほどTwitterに連投したStud… | Facebook と、佐々木さんはおっしゃいます。  しかし、だからこそ、次の同様のサービスのために、Studygiftはアウトなんです。  先ほどの悪徳不動産屋にたとえれば、「物件は説明と全然違うモノ。しかも売主は不動産屋の身内だったことが発覚」というやり方だったわけです。仲介者として拙いと言わざるを得ないでしょう。「なんだよ、売主から不動産屋にリベート渡ってんだろこれ」と考えてしまう状態です。  これを個別包摂だから当事者間の問題だと認識してしまうのは、甘すぎる。そういうレベルの話では収まらないんです。同じ仲介業をやってる身からすると、うらやましいありえないユルさです。  Studygiftを批判してる人は「個人間の支援をオープンな場で仲介するサービス」自体を否定している人ばかりではないのです。むしろ、後発のサービスのために「サービスの素地を荒らしてくれるな」と言っているわけです。だから、さんざん「焼畑農業」と揶揄されているんです。 佐々木俊尚さんが言っていることはこう聞こえる  たとえて言うなら。  とある悪徳不動産屋のひどいやり口をみんなが批判している時に、 「でも、不動産業者の仕事って大事だよ! これからももっと大切になっていくよ! みんな、不動産市場を否定するなよ!」 という擁護のようで擁護じゃないようなモノにしか聞こえませんでした。   蛇足 「自らを助ける者が助かるだろう」なんてものを「包摂」と表現するのは欺瞞としか思えないんだけど、なんで「包摂」なんて言葉を使ったんだろう? ていうか「個別包摂」なんて言葉は初めて聞いたけど、誰が作った言葉なんだろう? 社会学詳しい人、教えてください。佐々木俊尚さんの「Studygift問題についての論考」を不動産業界にたとえてみよう - 不動産屋のラノベ読み