今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、...
Published by atasinti,
今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。 それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。 私の見るところ、「いじめ」というのは教育の失敗ではなく、むしろ教育の成果です。 子供たちがお互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつことを、学校教育はもう求めていません。むしろ、子供たちを競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人参と鞭」戦略を無批判に採用してる。 であれば、子供たちにとって級友たちは潜在的には「敵」です。同学齢集団の中での相対的な優劣が、成績評価でも、進学でも、就職でも、すべての競争にかかわってくるわけですから。いじめについて (内田樹の研究室)